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言葉が表現できるのはカスだけらしい

by くのたん

空海は、生前「言葉は真理の周りにあるカスしか表現できない」みたいなことを言ったらしい。

日本人は結構、他人が言ったとおりに言葉を解釈するのではなく、その言葉で表しきれない部分を感じ取ろうとする。

前の記事で、西洋は肉体、東洋は精神と書いた。

東洋人は西洋人に比べて肉体は小柄で、貧弱な場合が多いけど、これは見えない世界を感じたい、という願いのあらわれのような気がする。

多分だけど、大きな体の人よりも、小柄なほうが、微細な感覚を捉えやすいから、見えない部分を視たい、と願った結果、小柄になったのかもしれない。

実際日本人は、空気を読んだり、セリフの裏にある意味を感じ取ろうとしたりするようなところがある。その結果、「日本人は人目を気にしすぎ」なんて言われるようになった。

よく人目を気にするのは自信がないせいとか、自己肯定感が薄いせいとか言われるけど、単に「見えてしまうから」といったほうが近いと思う。

例えば現実でも、視界に入ってくると、自然と気になってしまうのと同じであって、自信がないだの自己肯定感がどうのこうの、というややこしい話ではないと思う。ややこしく考えないで、そのままの表現で十分、ということがあるけど、この件はまさにそれな気がする。

言葉でなんでも表現しようとして、自分の頭の中を言葉で埋め尽くすことは、頭の中に迷宮を作る事なのではないだろうか。言葉ですべての事象を表現しようとして、かえって本質がわからなくなっていく。

特に心理学は、そんな風になっているような気がして、人を必要以上に悩ませているように感じる。

さっきの空海の「言葉なんて、真理の周りにあるカスしか表現しない」という言葉には、こういう意味合いも含んでいるのだと思う。

空海が開いた真言宗では、本当に大事なことは曼荼羅で表現されている。言葉で表現できない部分は必ずあり、無理して言葉を使うとかえって真理から遠ざかると知っていたように思う。

言葉を越えそうなものは、無理に言語化せずに、自分で感じたままにしておく、ということも必要なんだろう。

私も記事を書いていて、どこまで表現出来ているのかわからないけど、最低でも「真理の周りにあるカス」ぐらいの表現は出来るようになりたいと思う。

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