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思想の自由なんて、この世界には無いんだよ

by くのたん

こんなことをかくと、変に思われるかもしれないが、(私が変なのは今始まった問題ではないか笑)

この世界は、大勢の人が見ている幻想で出来ている。

一人の人が抱く幻想は、ただの幻想に終わることが多いのだが、多くの人が同じ幻想をいだく時、これが世界の土台となっていく。この世界で、最初に幻想を作ったのは、おそらく宗教だろう。

キリストを中心とした幻想、仏陀を中心とした幻想、ムハンマドを中心とした幻想。

このような幻想を土台にして、国という幻想が生まれ、社会という幻想が生まれた。

教育という幻想、メディアという幻想は、ごく最近生まれた幻想だ。

ネットが生まれる前は、ほとんどの人が同じ幻想を見て、それを信じ込みながら、生活していた。

でもネットが生まれてから、大勢の人が見ている幻想とは、違う幻想が見える人が生まれた。

科学的根拠という幻想を信じなくなり、自然療法など、別な幻想を信じて生きるようになった人、

教育という幻想を捨てた人、メディアの幻想から逃れた人、

見えない世界を信じて、生きるようになった人、

私のようにオカルトという幻想を見て、生きるようになった人。

これらの思想的マイノリティが、いつも困るのは、「いわゆるマジョリティと呼ばれる幻想と、どのように折り合いをつけるか」である。

自分の幻想と、いわゆる普通の感覚が違うために、周囲と無駄に衝突したり、危険な人扱いを受けてしまうのだ。

どんなに異端な思想であっても、迷惑かけてないなら叩かれる筋合いはないと個人的には感じているけど、こればっかりは、私自身もどうしていいのか、わからないようなところはある。

誰もが納得する思想なんか存在しないし、真実だって人によって違う。

これは断言してしまうけど、自分だけの答え、というのは、大勢の輪から外れることで初めて見えるものであって、大勢の中に居る間は、永遠にわからないのだ。

その人が、その人なりの答えを見つけたならば、それを邪魔できる人は本来いないはず。

にも関わらず、邪魔をする人がいるのだ。しかもそれはたいていエリートと呼ばれる人だ。

エリートは、大勢が抱く幻想を中心にいる人だから、幻想から抜ける人間を許せないらしい。

私の「この世界は幻想」という考え方に、驚く人もいるだろう。

この世界は、見方次第でいくらでも変わっていく世界であって、常に流動的である。

それはきっと、この世界が幻想だからだと思う。

眠っている時に見ている夢と、本質は変わらない。

これからもっと、異端な人が増えていくかもしれない。

そういう人を見かけても、迷惑かけてないなら、あまり責めたり、自分の理論で論破したりしないであげて欲しいと思う。

なんだかんだ言って思想の自由がない世界に生きていることを、異端児になって痛感している。

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