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自分が作ったものはどんなものであっても、我が子です

by くのたん

現実の世界と、アニメなどの二次元世界は、本質的にはあまり変わらないのだろうなと最近思う。

現実の人間を好きになるのと同じように、二次元のキャラを好きになったりする人がいるのも、潜在的には、二次元だろうが現実だろうが、同じ人間に見えているから。

アニメのキャラは作った作者がいることは確かなんだけど、世の中に放った途端、キャラ達は作者とは違った意思を持った存在になっていくようだ。作者にとって、キャラは子供のようなものだろう。

でも現実の親と子が全く同じ意思を持っているわけではないように、作者とキャラは別の人格となって、作者が意図しない行動をとったり、予想だにしなかった人と繋がったりする。

これはアニメだけに当てはまるわけではなく、何らかの作品を作って、発表すると、作品がひとりでに動き出し、新しい繋がりを作っていく。

私にとって、記事は作品ともいえるものだ。記事はもちろん私の言葉で書かれたものだけど、いろんな人のに読まれているうちに、私とはすこしちがう存在になって、勝手に動き回るようになっていく。

そうやって、まさか読んでくれるなんて思いもしなかった人が読んでくれたりする。

ツイッターでの軽いつぶやいた内容も、言ってみれば子どものようなものみたいだけど、ほかの媒体を使って作られた「子ども」よりもずっと自由で、好き放題してしまうらしい。おかげで一度火が付くと大変なことになって、どこまでも拡散していく。

短いもの、軽い気持ちで作った「子ども」は完成するとやっぱり軽くてふわふわして飛んで行ってしまうのだろうか。でも軽い気持ちで作ったせいか、完成度が低くて、忘れられるのも早いらしい。

大量生産の子どもよりも、少量生産の子どものほうが、記憶に残って、多もとくの人に愛され、そのひとの元で、また新しい命を与えられる。

せっかく作った我が子ですから、そういう愛される人生(?)を生きてほしいものです。

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