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個性を極限まで追求すると、個性は無くなる

by くのたん

時々、原宿の竹下通り、なんて場所を歩くと、奇抜な格好の若者がたくさんいて楽しい感じである。

こんなところにいると、一般的な格好の自分が、ある意味目立っている感じがしてしまう。

竹下通りなんて場所では、会社員みたいな恰好の人が、一番個性的かもしれない。

そう考えると、「個性的」というのは、周囲にどんな人がいるのか、ということも大事な要素になってくるということか。

例えば、エリート集団の中に、一人だけアーティストが混ざっていれば、アーティストが個性的に見えるけど、逆にアーティスト集団の中に、エリートが一人いると、エリートが個性的に見えてしまう。

個性的というのは、少数派である、ということでもあるのかもしれない。

最近、個性を尊重する、とよく言われる。

実際、自分の個性を生かして活躍する人が増えて、ネットでは、今まで考えらなかった方法で、お金を稼いでいる人もいる。

でもそうやって、多くの人がどんどん「自分ならではの何か」を表現するようになればばるほど、「個性」という言葉が、存在価値を無くしていく気がする。

例えば、ある集団がいたとする。その集団は、ある人はエリート系、ある人はアーティスト系、ある人は経営者系、ある人はスポーツ系と、みんな特徴がバラバラだったら、誰が「個性的」となるだろう?

みんなが好きなことをやって、お金が稼げたら、理想だなとは思う。

でもそうやって、みんなが違うことをやり出したら、たぶん、「あの人、個性的だな」とか思わなくなってくると思う。

みんな違って、みんな良い、という言葉があって、実際それでいいと思うけど、そうなればなるほど、「自分だけの特徴」というものを生かしずらくなってくるような気がしている。

今は、「個性」を追求する時代と言えるのかもしれないけど、個性を追求し尽したら、その先には、何があるのだろう。

みんなが少数派になっていく未来で、その先にあるのは、調和だろうか。それとも、サバイバルだろうか。

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