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両者がほどよく満足できる状態こそが正しいと思う

by くのたん

人が共感したり正しいと感じることはほとんど本当に正しいのではなく、「自分にとって都合が良いこと」だ。

自分の性格や生活環境など、自分を取り巻くものによく馴染む考えや意見を「正しい」と感じる・

「親を大切にしなさい」という価値観は正しいように思われる。でもこの価値観は非常に親にとって都合の良い価値観だ。この価値観を子供に与えていれば、親が年をとっても面倒を見てくれる可能性が高い。
またこの言葉からは「子どもへの思い、やさしさ」が感じられない。問答無用な雰囲気がある。

だから最近はこの「親を大切に」にという価値観も元々は親が考えた都合の良い価値観のように最近は思う。

親を大切に、という価値観は完全に間違っているとも思わないけど、結局親によるとしか言えない。
大切にしてもいいと感じる親だけ大切にすればいいのではないかと最近は思う。
また家族関係が上手くいっている人は「家族を大切に」という価値観に共感する。

この価値観は悪いとは思わないけど、この価値観を信じている人は時々残酷だ。
なぜって「家族を大切にできない人間はおかしい、酷い」と平気で言うからだ。

その言葉を親に虐待されて育った子どもに言えるのだろうか。
酒乱の親、借金まみれの親、ギャンブル漬けの親・・・そんな親の事まで大切しなければならないのだろうか?
こんな親は心では誰だって見捨てたい。でも「この親がいなかったら、自分はいない」という答えが、呪いの様に付きまとう。


教師が生徒に協調性を説くのも生徒のためではなく、聞き分けの良い生徒を量産したいからだと思う。
協調性を大切にする生徒ばかりなら、授業も静かで、教師仲間からも「仕事が出来る」と言われるだろう。
特に運動会などの行事にに無理やり動員させられている子どもを見るとその思いはますます強くなる。あれは「教師がどれだけ子どもを言うなりに出来たか」を競う大会にしか見えないのだ。

全ての教師がそうとは言わないが一定数いるように思う。

自分が正しいと感じたからと言ってすべての人が正しいと感じるわけではない。
だれにとっても正しいことなんか無い。

世界中にある価値観は正しいこと、間違っていることだけで出来ているわけではなく、ほとんどが「人による」としか言えない。普遍的に正しいと思われていることほど、人を深く傷つけることもある。さっきの「家族を大切に」のように。

人は自分の意見と違う人を見ると、自分の意見に染めたくなることがある。共感してくれる人が増えれば増えるほど、自分が思い通りに出来る世界が大きくなるから。

でもやっぱり強引に自分の意見に染めることは残酷だから、自分も相手も微妙に譲歩しながらバランスの良い意見が見つかると一番良いのかなと思う。

このポイントを見つけることは大変だけど、「どちらもほどよく満足できる状態」こそがきっと正しい状態なんだろうと思った。






くのたん
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