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ムスビをめぐる争い

by くのたん

以前「誰も知らない日本史 謎ジパング」という本の中で、三角おむすびについてこんなことが綴られていた。
「三角おむすびは神奈備を表していて、頂点からアメノミナカヌシ、カミムスビ、タカミムスビを表す。だから三角ではないものはおにぎりで三角のものはおむすび」

要するに三角おむすびは造化三神を表しているということらしいのだけど、読んでいてちょっと面白いなあと感じた。
造化三神のうち二柱の神は「ムスビ」という名前になっており、ムスビの神がアメノミナカヌシという創造主を中心に存在していることからもこの造化三神は日本の最も根源的な繋がり、結びつきを表しているのがわかる。

日本人はよく団結力があるとかよく言われ、個人よりも集団の方が強いと言われる源流はこの「ムスビ」にあるのだろう。

そんな「ムスビ」の力を維持するための仕掛けのようなものがこの日本にはそこら中に溢れている。
その代表的なものの一つに「礼」がある。
礼は日本人のあらゆる行動を決まった型にはめるものである。人は自分と似たような動きをする人を見ると無意識的に仲間だと感じ、結びつきを強めようとする。
この無意識下での働きを利用してムスビの力を維持している。

サッカーなどのサポーターの動きが同じようになっていると団結力が強いと感じるのもこのせいだと思う。

日本は日本人をこの「礼」の形に当てはめることで一体感を出し、ムスビの力を維持しているようなところがあった。

でもこの「礼」によって人を当てはめるというのは魂的には苦痛をもたらすものでもあった。例えばこんな感じ。

「私は本当はもっと違うやり方で人と関わりたいのだけど、礼儀があって叶わない」
「私は本当はこうやって食べたいのだけど、マナーがあって出来ない」
こんな風にちょっとしたことから始まって、少しづつ「自分の願いが叶わない」という状況が増えてしまっていた。

多くの日本人はこの「礼」の前に逆らうことが出来ず、最悪自分の本来を姿を忘れ、「ムスビの部品」と化して行ってしまった。

日本人には二通りのタイプがあった。まずはこの「ムスビの仕組み」を「自分を守ってくれるもの」と感じ、ムスビによって安心感を持っているタイプと、「ムスビの仕組み」を「自分を縛りつけるもの」と感じ、ムスビによって不自由な思いを持っていたタイプだ。

最近この二通りの日本人の間で争いが起こっている。
武器は無いけど、精神的な内戦のような感じになっている。
ムスビを維持したい人は自然と「日本を守りたい」と感じ、保守的になっていった。
ムスビを壊したい人は「もっと日本を開放したい」と感じ、あらゆる区別をなくしたい、国境を無くしたいと願うようになった。

このままいけばおそらく「壊したい組」が勝利するだろうと感じている。

こうしている間にもどんどんムスビの仕組みは崩壊し、礼儀とか伝統とか息苦しいと感じている人が大多数を占めるようになっているし、「家族」という礼と同じぐらいムスビを維持するうえで重要な仕組みも崩壊しつつある。

「外国人」という日本のムスビを完全崩壊させる存在も増えている。
私は正直「壊したい組」の人間なのでこのままいけばいいと感じている。

日本はいくらなんでも「個性」を無視しすぎたと感じる。
ムスビを維持するには個性なんてものは捨ててもらったほうが都合がいい。だから知らず知らずのうちに捨てさせられ、自分本来の思い出すことさえもできない人もいる。
日本は「個性を捨てさせる仕掛け」が縦横無尽に張り巡らされ、ここでは書ききれないほどだ。

集団であることが悪いとは思わないし、集団でいることで一人ではできないことだって可能になる。
だからと言って個をあまりにも犠牲にし過ぎたことで大勢の人が「自分は誰?何のためにここにいるの?」と泣きながら彷徨っている。

現在ムスビの力は確実に弱くなっている。それは日本人の団結力を弱めるものでもあるけど同時に「本当の自分を以前よりも見つけやすくなっている」ということでもある。

このムスビがなくなる時、自分の本当の姿が明らかになる。今まで親しんできた人の本当の姿も明らかになる。有名人の本性も、権力者も、その醜悪な姿を隠せなくなる。

そんな日はもうすぐそこまでやってきている。


くのたん
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