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オカルト差別なんて言う気はない

by くのたん

多様性を受け入れるということは「どうしても自分を受け入れてくれない人のことも認める」ということ。
自分の価値観や生き方をすべての人に認めてもらうことなんて不可能だ。

私は結構なオカルティストで魔術本を読み漁っている人なのだけど、
この趣味はかなり偏見の目にさらされる。
正直LGBTの人より偏見の目にさらされているような気もする。

でも私は特に気にならない。誰からも理解されたい、とは思っていない。
理解してくれる人にわかってもらえたらいい、理解してくれる人に受け入れてもらえたらそれでいい、と考えているからだ。

魔術というと普通怖い、怪しい、危ない、みたいな印象があって、子供にまで「ヤバイ」と言われる始末である。

私はリアルでは堂々とオカルト好きを公言していないし、これからも特にするつもりはない。
せっかくオカルトなしで仲良くしている人とギクシャクしたくないし、理解してもらえたらもちろんうれしいけど、無理に言っても仕方がないと考えている。多様性を受け入れるということは「自分を認めてくれない人のことも受け入れる」ということ。

オカルト差別だ、なんていう気も毛頭ない。
そういえば最近「差別」という言葉を使えば何でも通るようなところがある気がする。「差別」という言葉はどんな理不尽なことでも通ってしまうような、そんな魔法の言葉のような感じがしてる。

ちなみに多様性という言葉にも、そんな魔法のような作用を感じている。
多様性と言いながらどんどん世界が逆に狭くなっていくような、上手く言えない感覚がある。

ちょっと考えが違うぐらいで必要以上に怒る人が増えている気がする。「多様性」を唱えれば唱えるほど、かえってそれに縛られているような、・・・ほんと、上手く言えないな。

多様性を作りたいなら差別主義者だって認める必要があると個人的には思う。
私は「今にも犯罪を起こしかねないような危険思想」以外は認めるべきだと思っている。
この「今にも」というのがミソだ。

オカルト差別主義者だってどんと来い、という感じである。



くのたん
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