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芸術品と生活用品の境目

by くのたん

縄文土器と弥生土器と比べると同じ土器でも全然違う物だなあと思う。
同じ日本列島に住んでいたのにここまで見えている世界が違うのかと。

縄文の模様は蛇をあらわしている、という説があるらしい。蛇と言えば前の記事でも書いたけど人間の内に秘めるエネルギーを表している。
もし縄文の模様が蛇なら縄文人は土器を使って自分の内に秘められたエネルギーを表現したかったのかなあと思う。

自分の中にある魂やエネルギーが燃え上がる感じを土器を使って再現する。それが縄文人が土器を作る理由だったのだろう。
対して弥生人は全く違った。弥生土器はシンプルで生活感がある。一見使いやすそうで便利な感じである。
弥生土器は生活用品という感じだ。

縄文人はおそらく土器を作る時に使いやすさなんか気にしてなかった。他人の評価や評判も気にせず、自分の魂の中にある燃え上がる思いを土にぶつけていた。

芸術品と生活用品を分けるものはきっと「他人の評価を気にするかしないか」なのかもしれない。
他人の評価を気にせず、魂の叫びをそのまま表すことが出来たら芸術品、
使った人に便利と思われたい、美しいと思われたい、という他者の思いを汲んだら生活用品。
そんなことを土器を見ていて感じた。

たぶん自分の内を再現できたら芸術品、自分の外を再現したら生活用品、とも言えるかもしれない。

最近世の中に溢れる物たちは圧倒的に生活用品が多いのかもしれない。
デザインにしても「誰が見てもすぐわかるように」とか「誰でも使いやすい物にする」とか、外を再現するためのデザインで溢れている。
それが悪いとは思わないけど、なんかつまらないかもしれない。

人の評価を気にしない、ただ自分の内を表現したいが為に作られた物はなんでも賛否両輪を生むけど、そういう作品は心に残る。

外に向けて作ったものよりも、自分の内を表現するために作った物の方が記憶に残るって結構面白い現象だと思う。

外に向けて作るということは他者をすごく思っているはずなのに、記憶に残るのは自分勝手に作った物。
ただ外に向けて作ったものは現物として残りやすい。

記憶に残ることと現物として残る事。どちらがいいのかは人による。
両方に残ったら一番いいけど、なかなか難しい。

縄文土器の写真を眺めていたら、縄文の風景が、息遣いが聞こえてきそうだ。
弥生土器はそれがあまりない。芸術品と生活用品の違い。

芸術品は作った人の姿が見える。生活用品には見えない。
伝統工芸の職人が作った魂込めて作った生活用品は生活用品ではなく、きっと芸術品。

この記事を書いていたら芸術品ともっと一緒に住みたい、と思った。100均で溢れる現代だからなおさら大切なことのように感じた。



くのたん
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