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自立した人になるより、「助けて」が言える人になる

by くのたん

自立した人間になることよりも「助けて」と言える人間になる方が大切なのではないかと最近思う。

世の中は自立を促すようなもので溢れている。女性雑誌を見れば「自立した女はカッコいい」というような価値観で染まり、自立支援、とかとにかく「自立することが一番」であるかのように社会が動いている。

先日「女性だけの街が欲しい」とツイッターで話題になった。こんな発言が出る根本的な原因は「男性への恐怖」だ。
女性が男性恐怖になる原因はいろいろある。やはり何らかの犯罪被害に遭った場合が主な理由だろう。

力の弱い私達女性から見れば男性は恐怖の対象になりやすいかもしれない。
フェミニストと呼ばれる人が総じて気が強いように見えるのは男性への恐怖心の裏返しでもある。
恐怖があるから懸命に威嚇して負けないようにしているのだ。

男性は女性よりも強いことは明らかなことで絶対に変わることがない真実だ。

ならば男性を「恐怖の存在」を感じるのではなく「頼りになる存在」と捉え、「男性のみなさん、私たち女性は力も弱く、何かあったら負けてしまいます。ですのでどうか助けてください、力を貸してください」と言える関係である方が良い。

フェミニズムの思想の中に「男性に助けられることが女性の権利」という価値観があったら男女関係は全く違うものになっていたに違いない。
無論助けられたら感謝することも忘れてはいけない。

私は「助けて」と言えない女性を気の毒に感じる。「女性だけの街が欲しい」という表現しかできず、素直に「助けて」と言えないことが哀れである。

特に日本人は助けて、と言えないところがあると感じる。助けてと言ったら迷惑なのではないか、かっこ悪いのではないか、大人げないと思われるのではないか・・etc

助けてと言えていたらいじめで自殺することもなかったかもしれない。ブラック企業にこき使われっぱなしなんてこともなかったかもしれない。

最近はネットが発達してより「助けて」と言いやすくなっている気がする。
もっと世の中が「助けて」と言いやすくなったらたくさんの人がもっと生きやすくなっていく気がする。

以前こんなことを教えてもらった。

「例え誰かに助けてもらってもその人に感謝する必要は無い。助けてもらったことを自然に感謝すればいい。
だってそれはすべてがくれたことだから。
みんなが助けてくれたからみんなに感謝すればいい。そうすればその思いがみんなに反響して直接助けてくれた人にはより多くの力がかえってくる」

強いひとは誰かを助けて大きな力を得て、弱い人は助けてもらって力を得る。それが本当の繋がり。
だから特に弱い人は「助けて」と言えることは本当に大切。
弱いことは悪くない。恥ずかしいことじゃない。弱いという性質なだけ。弱いことも個性の一種。

弱いなら弱いなりの生き方がある。
助けてほしい時、助けてと言えること。たぶん自立よりもずっと大切だと感じる今日この頃。




くのたん
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