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自分最優先が結局一番良い

by くのたん

なんか以前も書いた気がするけど、陰口を言わないほうがいい最大の理由は、その言葉を発した段階で誰に向けた言葉であろうとも自分に言ったようなものだから。

あいつむかつく、という話を家族や友人にしたとする。意識上では家族や友人に発したわけではないと認識しているのだけど、それを聞かせた段階で家族や友人に向かって言ったも同然なのである。
そしてもちろん自分自身に対して言っていることにも繋がる。

自分や家族や友人に向かって「むかつく」と言ったのと本質は同じ。だから陰口は言わないほうが良い。
ネットの書き込みにも同じことが言えると思う。
書き込んだ内容は自分でも読むわけで、読んだ段階で自分にも言っているし、関係ない人にも毒をまき散らしているようなもの。
ネットが発達したことで他人の本音が良くわかるようになった。
匿名だから遠慮がなく、容赦ない罵声が書き込まれる。そしてそれは自分に対する罵声でもある。

ブログでもただの陰口ブログのようになっているものも時々見かける。
書いた本人は楽になっているように感じるらしい。
確かに私も汚い言葉で言いたい、と感じることは確かにあるけど、これって本当に楽になる行為なのだろうか?

楽になったような気がするのは本当にただ「気がする」だけで本当は自分の心に毒を盛っているだけのように感じる。

思うに愚痴や罵声や陰口を言うと楽になる人、というのは割とネガティブなものに魅力を感じやすい人なのではないかと思う。

一見ネガティブなもの、例えば地獄とか悪魔とか、そういう存在は誰も魅力を感じないと思いきやそうではない。
天使と悪魔は表裏一体で、同じだけ力のある存在だ。だから魅力も同じだけある。
女性雑誌に「小悪魔タイプ」とかそんな言葉が時々使用されるのも悪魔という存在がネガティブだとわかってはいるけど魅力を感じる存在だからなのだろう。

そういうネガティブなものが魅力に感じる人は、自分の心に毒が盛られていく様が心地よく感じるのかもしれない。若干マゾ気味なのかもしれない。

罵声を浴びせたり、過激な書き込みをするのはサドっぽい気質に感じるけど、マゾ的な要素も含んでいるのかもしれない。
そう考えるとサドとマゾも一緒かもしれない。
表裏一体、正反対のものはお互いを必要とし、一緒にいたがる性質があるのかもしれない。

傷つきやすい人は、傷つけやすい、これは以前古賀史健さんが書いていた事だ。
過激な書き込みや陰口は人を傷つける。でも同時に自分を傷つける行為でもある。

傷つきやすい人は人からの影響を受けやすい。影響を受けやすいということは影響を与えやすい。
ここら辺を理解していると不用意な書き込みや発言で人を傷つけることは少なくなる。
そうすれば人間関係は自然と良くなっていくのだろう。

陰口を言わない、愚痴らないことは他人のため以上に自分のため。自分の心のため。
陰口や愚痴を言わない人は良い人、とか立派な人、とか言われるけどそうじゃない。

自分を最優先に考えると自然とそうなる。自分を徹底的に大事にする人ほど、愚痴らなくなるし、陰口も減る。

だからどんな時も、自分を最優先にするのが結局一番良いんだなと思った。


くのたん
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