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敢えて無知になる

by くのたん

私は考える時、持っている知識をベースにして考える時と、持っている知識を忘れて考える時と両方の時がある。

例えば子供に勉強を教える時は今まで学校で教わった知識をベースにして教える。これは当然と言えば当然の事だ。

そういうこの社会の一部として機能するためのことをするときは知識を生かして考える。
私は特別知識人というわけでもなんでもないが基本はあるので子供に勉強を教えることも一応できる。

こういう状況に当てはまらないことを考える時は知識を一回忘れて考える。
私は自分が住んでいる星の名前さえも知らない、太陽や月も知らない、時間の概念さえも知らないと。

こうやって世界を見た時に見える風景に魅了され、「知識を一時的に無くして考える」ということが結構日常化してしまった。

知識を忘れる、というのは無知になるということ。わざと無知な自分を選ぶのだ。
知識を無くしてみた風景はもしかしたら自分が赤ん坊の時に見ていた風景なのかもしれない。
それを思い出すから魅了されるのかもしれない。

知識が増えると知識に応じた思考力が身についていく。これは社会で生きていくうえでは欠かせない知識で、現実的な成功を得たい時には無くてはならない知識でもある。

知識を無くしたときに生まれる思考力は現実ではあまり役にたたないかもしれない。
でも知識を無くすことによって得られる思考の世界は自分の中に「無限の宇宙」が広がっていると気付かせてくれる。

知識を無くして考える、というのは実は結構贅沢な時間でもある。
なぜならこういう思考をする時間は経済的に余裕が無いと出来ないのだ。
明日食べていくにも苦労する状況ではこんな思考する余裕など生まれない。
こうやって考えると、私は結構恵まれた状況に置かれているのだなあとありがたく感じる。

もうすぐ年が明け、新しい年がまたやってくる。

来年はこうやって知識を無くして考える時間はどれぐらい取れるだろうか。

たくさん取れるぐらい、ゆったりした一年をまた送りたい。



くのたん
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